川端克忠さん

現役スポーツマン


北本市には光輝いている人・物・歴史・店・企業等たくさんあります。北本市まちづくり観光協会では、そんな光輝くものを「見つけ、紹介し、創り出そう」と企画しています。
 シリーズ8では 北本市西高尾在住の「現役スポーツマン・川端 克忠氏」にスポットをあて、貴重な体験などを聞いてみました。



●三重県出身と聞いていますが、学生時代はどんなスポーツをしていたんですか。
私は昭和14年に「伊賀の里」三重県上野市で生まれました。
上野市は当時からサッカーの盛んなところでしたが、私は小学生の頃は野球をしていました。知っているかな、ちょっと前の話ですが相撲の花天龍。彼がピッチャーで私がキャッチャーをし、バッテリーを組んでいました。
中学生時代から陸上部でしたが、足が速かったので時々サッカー部に借り出された事もありました。中学3年の時は陸上部のキャプテンをし、県大会で棒高跳びで3m10を跳んで3位になりました。



●やり投げの川端さんと聞いていましたがやり投げを始めたのは。
私は何でもやりますよ。やり投げ、棒高跳び、200mハードル、円盤投げ、砲丸投げなどね。高校2年の新人大会では、やり投げで県大会3位になりました。記録は42m50でしたね。
高校3年の時は、やり投げで県大会で優勝し、東海大会にも出場し、練習ではいつも50m位は投げていたので、誰もが国体出場間違いなしと言っていたし、私もそう思っていました。
ところが国体出場をかけた東海大会の前日、棒高跳びの練習中に足首を骨折してしまいましてね。それでも悔しくて、やり投げなら走る競技ではないので、何とかなると思い出場したんですが、45m投げて3位でしたね。
肝心な足を怪我していたんでは勝てなかったですよね。でもそれ位自信があったんですよ。



●で、国体にも出場したことは?。
それが、残念なことに国体には出たことがないんですよ。30才の時、これも国体出場のチャンスだったんですよ。国体出場をかけた大会で、やり投げでずっとリードして競技が進んできて、今度こそはと思っていたんですが、最後の1投で逆転されて出られなかったんです。だから2度国体に出るチャンスがあったにもかかわらず、どちらも出られなかったんです。



●今でも現役でやっているそうですが、マスターズのお話を聞かせてください。
 現在埼玉マスターズ陸上の副会長をしております。 
 マスターズ陸上競技大会は、男子30才以上、女子25才以上の熟年選手の競技大会で、2年おきに開催されます。アジア大会、さらに世界大会もあります。大会は5才区切りの年代別の大会です。
 45歳の時には、やり投げで関東大会、東日本大会、全日本大会、アジア大会とすべてで優勝したんですよ。世界大会には仕事の都合で時間がとれず欠場してしまいましたが、新聞にも大きく取り上げられましてね。四大会すべて優勝するなんて簡単には出来ませんよ。



● いまだ現役でスポーツをしている楽しさって何ですか。
それは記録への挑戦です。マスターズの大会が励みになります。年代別にそれぞれの記録がありそれに向かって挑戦していくんです。
 それと、元オリンピック選手たちや顔なじみの選手たちに会えて、競技できるのも楽しいことですね。



● 北本市陸上競技協会をつくったのは。
 北本の市民の体力向上の為に私は北本市陸上競技協会を作り初代会長として20年間務めました。その間に、市民の埼玉駅伝、北本市教育委員会のジョギングクラブ、北本市民体育大会といろいろなものにかかわってきました。



●今後の夢を聞かせてください。
これからもずっと記録に挑戦していきたいですね。
今年は60才なので新しい60才台での競技で、また新記録をつくって優勝したいと思っています。 
今まで何回も年代別の記録を書き換えてきたんですよ。
それともう1つ、女子駅伝の選手を育成していきたいですね。全国レベルのチームが出来たら楽しみですね。

現在、三重工業株式会社の社長さんとして、又現役のスポーツマンとして大活躍。今年60才、お孫さんもいるそうです。でも見るからに若々しく、希望あふれた話を伺っていて、どう見てもそんな年齢に見えませんでした。
私たちも健康に留意し、いつまでも元気で過ごしたいものですね。