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関口聖岳さん 尺八演奏者・尺八制作者 |
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北本市には光輝いている人・物・歴史・店・企業等たくさんあります。北本市まちづくり観光協会では、そんな光輝やくものを「見つけ、紹介し、創り出そう」と企画しています。 シリーズ1では 北本市深井在住の「尺八奏者・制作者 関口聖岳氏」にスポットをあて、尺八に対する熱い思いを聞いてみました。 ●先生と音楽との出会いを聞か せていただけますか。 私が尺八との出会ったのは23才の時です。それもね、登山に行ってまして山小屋で寝ていましたら、下の方から朗々と尺八の音色が聞こえてきたんですよ。それで人生変わちゃったんですよね。あまり感動したってのかな。 たぶん、下の方でテントを張ってた中年の2人で来ていた人たちがいましたので、たぶんその人たちが吹いていたんだと思いますがね。で〜 夜中に飛び起きまして、「これこそ自分の生きる道だ。」ってそこで決まっちゃいましたね。これで生きようと一目散に山を下りていって、尺八を買って...。 それが私の尺八との出会いであり、そこから始まったわけです。 ●どなたかに師事して習ったのですか ええ、趣味で習ったのは3ヶ月位かな、趣味の期間は非常に短かったですね。だっていきなりこれで私は生きようと思ったんですから。 最初は演奏家になろうと思ったんですが、しばらくして尺八制作も始めていましたので、やっぱり自分としては作り手になりたいと思って、尺八と出会って3年で会社を辞めました。 ●どうして尺八制作をしようと思ったのですか。 もちろん最初は既成の尺八を使用していました。当時の月給の何十倍というお金を出して3本の尺八を買ったんですが、それがとても使いものにならないような品物だったんです。ピッチが甘かったりで既成の尺八では物足りなくなったんですね。それで自ら尺八の制作を独学で始めるようになったのです。32〜33才位までは制作の方に力を入れていたんですが、そのころある人から尺八吹きがほしいといわれて又演奏を始めたんです。最近はまた制作の方に力を入れているんですがね。 ●ところで尺八の音っていうのはすぐにでるんですか 出ますよ。出ないっていうのは鳴らそうとするから出ないんで、理にかなった状態でフーと吹けば簡単に出ます。 でもね、それからなんですよ。初心者の時に鳴って、それを5年10年かけて、自分のものに、体の一部に持っていくのが大変なんですよ。これは太鼓でも何でも同じですが、一時期は楽しかったかもしれないけれど後は苦しみみたいなものですよ。尺八は呼吸法ですよ。それが●年はかかりますよ。私も会社勤めをしながら日本のトッププレイヤーのかばん持ちみたいな事をしながら15年くらい勉強しました。そこで技術が身につきました。 ●先生は尺八を年間どれくらい制作しているんですか。 制作数量は今は年間20〜30本くらいですね。前には年間一100本位制作していたこともありましたが。 だんだん年齢が高くなってくるとやたらと楽器を作れなくなってくる。無理ができなくなってくるんですよね。だからだんだん注文を受けても需要に応えられなくなってしまうんです。若い頃は徹夜しても需要に応えたんですがね。 ●尺八の材料は竹でしょうけれど、どんな竹が楽器になるのですか。 尺八の材料は真竹です。山の岩盤みたいな所に生えた竹は、下に伸びられないので詰まって詰まって育つ。そんな竹が良い。京都の竹が良いと言われるが、良いのも悪いのもあります。 冬の12月頃取った竹が良いので、そのころ山に入ります。年間11〜12回位山には行ったこともありました。竹林には竹を鎌でスパッと切った切り口なんかがあってね、手などすぐ切れてしまうし、間違えて尻もちなどついたら串刺しになってしまいますよ。そんな夢をよく見ますよ。 ●これからも演奏活動もやって行かれるのでしょうか。 力を持っている人は地元にもたくさんいる。そういう人はもっと地元でやるべきだと思いますね。本物を聞かせてあげたい、本物を聞きたいという要望はたくさんある。 前に「日本の音楽展」というのがありましてね。それに参加したことがあったけれどいろんなジャンルの人が集まってきていい演奏会でしたよ。北本市でもそんな演奏会をやったらいいと思いますし、ぜひやってみたいですね。 ●最後にこれからの夢をお聞かせいただけますか。 夢は最高の音の出るすばらしい尺八を作ること。100%満足のいく尺八はまだできない。今は演奏するよりも制作の方に力をおいています。 また、尺八の普及発展のため独自企画の演奏活動は今後もやっていきたいと思っています。 そして門人を育てて尺八の合奏団を作ることが私の夢ですね。 |
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